《イヴの心臓》
浅葱「君が動かなくなって、もうどれだけの時が経っただろうか。人が歳老いても君は変わらない…変わらないままの姿の君を見るたびに思うよ、君が本当の人間で同じ様に歳を取って生きていけたらどれほど幸せだっただろうな、って。……ねぇ、イヴ」
阿鳥N「今や世界シェアNo.1、人間の生活の補助だけではなく、人の心に寄り添える存在に…というコンセプトで作られた自立型アンドロイド、それがイヴだ」
秘書『社長お客様がお見えです』
阿鳥「うん?誰?」
秘書『受け付けからの映像を確認致します。株式会社ALICE(アリス)の有栖川様とお連れ様、計2名を確認致しました』
阿鳥「有栖川さんか…大方連れてきたのは大手販売メーカーの人間だろうなー…分かったすぐ行くよ」
阿鳥N「アンドロイド、と言えば聞こえは近未来的だなんだ言われるかもしれないけれど実は昔から人間の側にある物で。例えば身体の一部を無くした人のための義手や義足なんかも言ってしまえばアンドロイドだ。今のそれはただ【人型である】だけ」
阿鳥「やぁ、お待たせしてすみません……おや、そちらの方は…カスタマイズされてますが、イヴですね?」
有栖川「いえいえどうも。……流石(さすが)阿鳥さん、やはりお分かりになりますか」
阿鳥「ええまぁ、本職ですので」
有栖川「ははは、それもそうですね。商業用の個体ではありませんけどね、広告モデルとして会社をサポートしてくれてるんですよ」
阿鳥「ほほぉ、イヴをモデルに……うちの周りでもALICE製品は人気でして、使用してる個体は多いんですよ、特にカスタムパーツの種類の多さが素晴らしい。その子のパーツは…見たことがないなぁ…もしかして新作ですか?」
有栖川「いやはや、そこまで見て頂けて恐縮です。そうなんですよ、それでですね、実は………」
阿鳥N「初期設定の簡易さやサポートの充実。カスタマイズは数千数万通りという自由度の高さが人気の火付け役となり、最近は売上も右肩上がり。会社は、まあまあ上場企業ってところだろう」
秘書『お疲れ様でした。本日の業務は全て終了しています、明日の予定を確認しますか?』
阿鳥「うん、お願い」
秘書『午前中から西棟3番メンテナンスルームにて商業展開機体EG(イージー)型のメンテナンスがあります』
阿鳥「もうそんな時期かー…EGだと、あれか。君と同じタイプの」
秘書『はい。今日の業務が終わり次第私もメンテナンスに。明日はF型の機体が私の代行を致します。メンテナンスの様子はご覧になりますか?』
阿鳥「そうだね、新卒の職員の様子も知りたいし明日の予定にメンテナンス視察、入れておいてくれる?」
秘書『畏まりました。それでは明日の予定はそのように。他に書き込む予定はありますか?』
阿鳥「んー、……いや、大丈夫。何かあればその時に」
秘書『畏まりました。……社長、外線からのお電話です』
阿鳥「誰かわかる?」
秘書『…この番号は、浅葱様ですね』
阿鳥「……浅葱か」
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(人の行き交う街中のカフェにて)
浅葱「久しぶりだね、阿鳥」
阿鳥「呼び出しておいて、まるで偶然のような挨拶をするんだね、君は」
浅葱「あっははは、相変わらずお堅いねぇ阿鳥は。いいじゃないか、細かいことはさ」
阿鳥N「浅葱は、もとはウチの会社に居た技術者だ。辞めてからは個人でアンドロイドの修理屋を営んでいる、と聞いている。ただ…」
阿鳥「浅葱、国の許可は取ったの?」
浅葱「許可ねー、取ってもいいんだけど…そうするとほら、税金馬鹿みたいに取られるからさ」
阿鳥「だからって、非正規の営業なんて……」
浅葱「別に国の許可の元じゃなきゃ出来ない商売じゃあないし、人の傍に居るには丁度いいんだよ今の形が」
阿鳥「君は、優秀だった。それは僕が保証するよ。だけど……」
浅葱「ストップ。その『どうして辞めたのか』の顔は無し。いつも言ってるだろう」
阿鳥「……わかってるよ」
浅葱「…はぁ、そうやって認めてくれているのは有難いし嬉しいんだよ?だけど、あの時も言ったじゃないか、守りたいものがあるからって」
阿鳥「…その守りたいものについて、君は何も言わないけれどね」
浅葱「…なにぃ、拗ねてんの?」
阿鳥「拗ねてるというか…長いこと一緒に居たのに僕にはそういう話、してくれないんだなあって思ったっていうか…って、なに、頭抱えてどうしたの」
浅葱「阿鳥、それを世間一般的には拗ねてるって言うんだよ…」
阿鳥「……?」
浅葱「ほんっとに君は、自分自身のことになるとどうしてこうも…」
阿鳥「…なんだよ、悪かったな。で?呼んだ理由は?懐かしさに浸りたいからってわけじゃないんだろう?」
浅葱「ああ、忘れるところだった。ウチの店でこの間アウト品が出てね」
阿鳥N「アウト品。それは修理不可能レベルの破損が見つかった個体の事だ。大体はCPU、人間でいう脳にあたる箇所に破損が有り、のはずなんだけど…」
阿鳥「街の修理屋に、アウト品?…そのレベルなら本社に送ってくる案件の筈じゃ…」
浅葱「そう、本来ならね。ただ通常のアウト品とはちょっとわけが違う。そこで君にも見てもらいたくてね」
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(街の裏通り浅葱の店)
阿鳥「…これが、アウト品だって?」
浅葱「そう」
阿鳥「バカにするのもいい加減にしろ浅葱。だってこの個体…」
イヴ「…………?」
阿鳥「稼働してるじゃないか…!」
イヴ「…このひとは、だれですか」
阿鳥「これのどこがアウト品なんだ」
浅葱「ね?ちょっとわけが違うだろう?」
阿鳥「ちょっとどころじゃない!本来アウト品は機能停止していて動くどころの話じゃない。音声パーツや回路にも異常がないなんて…」
イヴ「このひとは?」
浅葱「この人は、君たちイヴの親だよ。作った人」
イヴ「…このひとが?」
阿鳥「やめろ。イヴにとって製作者に関する記憶なんて…」
イヴ「…アトリ?」
阿鳥「…⁉︎」
浅葱「…この子の持ち主は、急におかしなことを話す様になったのはきっと何かの故障だろうとココにこの子を連れてきた」
阿鳥「…おかしなことって」
浅葱「この子は、生まれる前からの記憶があるそうだよ、阿鳥博士」
阿鳥N「生まれる前…それは、アンドロイド達にとってはプログラミングの段階かもしくは組み立ての段階か…とにかく出荷時にはなんの設定もされていないただの機械の塊の状態の頃に記憶なんてあるはずがない。…そう、どれだけ人間に見えたってこの子達の皮膚の下はただの機械なんだから」
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(翌日の夜)
阿鳥「名前は?」
イヴ「それは、型番?それとも名称?」
阿鳥「名称で」
イヴ「名称は、イヴ。EVE(イーブイイー)でイヴ」
阿鳥「…君の持ち主はこれまた安直な名前を付けたんだねえ」
浅葱「イヴシリーズだからイヴ?」
イヴ「由来は分からないけれど大事に呼んでくれていた」
阿鳥「…型番は?」
イヴ「E-009-YX」
浅葱「……YX?」
阿鳥「YX型が、どうして…」
浅葱「阿鳥、YXって確か…」
阿鳥「…50年前……祖父の代に作られた古い型だ……」
浅葱「伊吹聡一郎(いぶきそういちろう)か………アンドロイドの父と呼ばれた人工知能学の権威…50年前の個体がなんで今…」
イヴ「イブキわかる。いつもポケットに写真入れてた」
阿鳥「…写真?」
イヴ「イブキは娘だって言ってた…すごく綺麗な人だったよ」
浅葱「…母親?」
阿鳥「…伊吹聡一郎は父方の祖父だ。そして僕の父には姉妹は居ない」
浅葱「…お約束の愛人との…とか?」
イヴ「イブキは、ユメだけを愛してたよ」
浅葱「ユメ?……誰?」
阿鳥「伊吹結女(いぶきゆめ)……僕の父方の祖母の名前だ。…だとしたら…、イヴ。祖父からその娘の名前を聞いたことは無い?」
イヴ「…聞いたことは無いと思う。思い出せないの」
浅葱「ってかさ、いくらメンテナンスしてたとしても50年も動くもんなのか…?」
阿鳥「理論上では可能…ただ、それは高度なメンテナンスをしていれば、の話だね。YX型はほぼ初期の型で、システム面の簡略化がされていないから今の技術でも結構難しいよ…当時は汎用性低かったからね。技術やシステムが確立してる今ならいざ知らず…当時は技術者も少なかったはずだから、時間も金も相当使ってメンテナンスしてたんじゃないかな。今じゃ、古い型は直すより買い換えた方が安く済むって言われる時代だよ?現在進行形で動いているこの型番は、僕でも初めて見たくらいだ」
浅葱「うわぁ……そこまでか…」
阿鳥「祖父は初め医療用アンドロイドとしてイヴを開発してた。従来の機械丸出しの姿じゃなく人に好かれるように、寄り添えるようにこの姿だったんだ。…それを、医療以外にも、そしてもっと身近なものに、と開発改良してったわけ。だけどイヴは、見た感じ医療用アンドロイドでは無さそうだし…」
浅葱「連れてきたのも普通の人だったしなぁ…イヴ、君のメンテナンスの担当は誰だった?」
イヴ「イヴのメンテナンスはイブキがしてくれてたよ」
阿鳥「…それならイヴ、君はずっとメンテナンスされていない事になるね。………祖父は5年前に癌で亡くなってるんだから」
浅葱「…5年もメンテナンスされてないだって?この50年前の個体で!?まさか、…イヴに限らずアンドロイドにはメンテナンスの義務があるのに!」
阿鳥「(ボソボソと呟くように)…YX型が5年もメンテナンスされずに正常に動くなんて…今の個体ですらメンテナンスを怠れば不具合が出るのに…YX型の精密データなら会社にあるけどこんな報告見た覚えもない……」
イヴ「この5年間は、そういえばメンテナンスルームに行ってない」
阿鳥「(ボソボソと呟くように)そもそもこの年代の型は、システム面のみに限らず色々試運転のシステムを搭載してあったはず…爺さんは、まさか自己修復システムでも織り込んだか?いや、そんなデータはなかったし機械が自己的に自身のメンテナンスなんて…」
浅葱「…あーとーりー!」
阿鳥「…え?」
浅葱「出てたよ、君の悪い癖」
阿鳥「…癖?」
イヴ「難しい顔して、難しい事ブツブツ言うの、アトリの癖?」
阿鳥「えっ、僕そんなことしてた?」
浅葱「…ほんっとに、自分の事になるとてんでわかってないんだから」
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(翌日朝、阿鳥の会社にて)
阿鳥「50年前のYX型に関する資料を出してくれる?」
秘書『YX型ですね、畏まりました。……しかし、何故そんな古い型の機体を?』
阿鳥「ちょっとね。…ありそう?」
秘書『ありました、が……』
阿鳥「…?」
秘書『この資料には高度なプロテクターが掛けられています。解除には8桁の暗証番号が必要になりますが、お心当たりは御座いますか?』
阿鳥「…プロテクターだって?僕はそんなもの掛けた覚えが……まって、その資料の作成者は?」
秘書『伊吹聡一郎、と記載されております』
阿鳥「…なら、プロテクトシステムも爺さんか…」
秘書『YX型についての資料はこの他に3件見つかりました。閲覧可能資料ですが、全てお読みになりますか?』
阿鳥「…いや、要約して貰える?」
秘書『畏まりました』
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(同日夜。浅葱の店)
浅葱「んで、なんかわかったの?」
阿鳥「めぼしい情報はなにも…見れるものには使ってる回路の組立図やメンテナンスの注意点なんかばっかり。システム面に関してはウチの爺さんがご丁寧に鍵掛けて厳重に保存してたよ。そっちだね、欲しいものは」
浅葱「その中に何があると見る?」
阿鳥「あの人の頭の中は皆目見当も付かないよ。ただ、こんなに頑なに見せたがらないものだから…知られたくないものなんだろうね。パンドラの箱かな」
浅葱「…それを、見なきゃいけないと思う?」
阿鳥「研究者としては、見るべきだと思う」
浅葱「…身内としては?」
阿鳥「……」
浅葱「聞き方が意地悪かったね、…にしても、それがないとイヴの秘密は分からずじまい…か。どうしたものかねぇ」
阿鳥「…そういえば、イヴは?」
浅葱「今日の検査は一通り終わったから、今スリープモードに切り替えて休んでるよ」
阿鳥「……イヴが、どうして5年間もの長い間メンテナンス無しで活動できるのか、その謎が解けたらアンドロイド業界にとって大きな飛躍になる。彼女を解体してその謎を解き明かす、ってのも視野に入れるべきなのかな……」
イヴ「…かい、たい?」
浅葱「イヴ…!!」
イヴ「…アトリは、イヴを壊すの?」
浅葱「違うんだ、そうじゃない」
イヴ「アサギには聞いてない。アトリに答えてほしい」
阿鳥「爺さんの残したあの資料が見れないとなると…」
イヴ「…イブキは、イヴの記録をつけてた。それが見たいの?アトリは。見れないなら、イヴの中を見るの?中を見るためには、アトリはイヴを壊さなきゃいけないんじゃないの?壊されたあと治してくれる?そしたらイヴはイヴのままいられるの?」
浅葱「……阿鳥」
阿鳥「…設計図もないイヴを全く変えずに直す技術は多分、僕にはまだ無い…結局、どう足掻いても鍵を探すしかないって、再認識せざるを得ない…」
浅葱「…ヒントも何も無い状態から、探すっていうのか。8桁だろ?何通りあると思ってんだ組み合わせなんて…」
阿鳥「それでも、探さなきゃ。ごめん、イヴ。絶対に解体はしないから」
イヴ「…わかった。イヴも手伝う」
浅葱「…はあ、これは協力しない、とは言えないなあ…」
阿鳥N「こうして、僕たちは爺さんの残したパンドラの箱を開けるために動くことになった。浅葱の言う通り8桁の組み合わせなんて目も眩む程途方も無い組み合わせだ。それが数字なのか文字なのかもわからない。探す手がかりは…ゼロなのだから」
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(数日後、再び浅葱の店)
阿鳥「…くそっ、この羅列も違う…」
浅葱「思いつくものは粗方(あらかた)入れてみたんだろう?」
阿鳥「入れた、これもダメあれもダメ。…関連資料からありえそうなものも全てダメ」
浅葱「手掛かりはまるで無し…完全に手詰まり状態ってことか………」
阿鳥「そもそも、この資料については僕は父さんから一度たりとも話を聞いたことがない。……前社長が、知らなかった、なんてことないと思うのに…」
浅葱「ん?それはつまり…これは伊吹聡一郎が君に遺した物だ、ということ?」
阿鳥「…僕に…?一体、なんの為に……」
イヴ「アサギ」
浅葱「ん、おはようイヴ」
イヴ「おはよう。アトリも」
阿鳥「おはよう、どうした?」
イヴ「イヴのメモリーに、S.I(エスアイ)の名前でデータがあった。これ、イヴは覚えがない。…聴ける?」
浅葱「S.I………」
阿鳥「…聡一郎、伊吹?」
(イヴにケーブルを繋ぎ、浅葱のキーボードを叩く音が鳴る)
浅葱「うへぁ…これまた古いファイルだなぁ…壊れてはいないけれど…」
阿鳥「ねぇイヴ。これ、爺さんが遺したの?」
イヴ「わからない…イヴは覚えていない、ごめんなさい」
浅葱「この形式を、一旦こっちに変換して…っと。ほい、解凍完了」
阿鳥「…さすが」
イヴ「さすが。…読み上げようか?」
阿鳥「…うん、お願いできる?」
イヴ「わかった。…『プログラムではなく、自ら考え動くことの出来るより人間に近いものを私は作りたい。愛する者を亡くした人の為に』」
阿鳥「…続けて」
イヴ「『あくまでも人間らしい動きをするように組み立てたプログラム、けれどそれがなければアンドロイドはただの鉄の塊だ。今の私に出来ることは、プログラムをいかにしてそれらしく見えなく作り込むかだろう。私もアンドロイドだとうことを忘れてしまうほど精巧すぎるプログラムをどう作り上げるか』」
阿鳥「………プログラムらしからぬプログラム、か…」
イヴ「…『私はまず、本来あるはずのない過去を組み込んだ。人間ならば幼少期と呼べる時代をアンドロイドに与える事で所有者との関係性に変化がうまれるのではないか、と。試作機を何体も作ったが、システムエラーが続く。やはりありもしない記憶は、機械には抱えきれないのだろうか』」
浅葱「作り物の記憶を機械に、なんて…そんな事が」
阿鳥「初めからインストールしておくのは構造上は可能だよ。ほら、言語システムとか最初からあるじゃない?感覚的にはそれと同じなんだけど…」
浅葱「インストールする情報量が多すぎやしないか」
阿鳥「学習機能とはまた違うユニットを搭載させている…ということか…?」
イヴ「まだあるけれど、読む?」
阿鳥「……お願い」
イヴ「『意志を持たせる。それは機械工学では禁忌ともいえるだろう。意志とは即ち想像された目的以外のものである。機械制御技術で出来る範囲をゆうに越えていることは火を見るより明らかだ。だが、それでも私は諦めることが出来なかった』」
浅葱「機械制御三原則、といったところか…確か《第一条・機械は自らを護らなくてはならない。》《第二条・機械は人間の操作(命令)に従わなければならない。》《第三条・機械は自らの創造された目的のために働かねばならない。》………だったっけ?」
阿鳥「その通り。爺さんはこの第二条に触れるものを作ろうとした、ってことか…」
浅葱「指示なく、自分で考えて動くものを…となると、そうだね、緊急時の自己防衛とは訳が違う」
阿鳥「第一、そんな膨大なユニットを組み込むなんて国家のスパコンレベルじゃないと……イヴ、そのデータまだ続きはある?」
イヴ「『この先何年掛かってもいい。私の命が途中で尽きても構わない。私は作り上げるのだ、新しい私たちの娘、EVEを』ここで終わってる」
阿鳥「娘……?イヴが?」
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(浅葱の店の奥)
イヴ「…アサギ」
浅葱「ん?どうした?」
イヴ「冷却用溶液、ある?」
浅葱「……どうした」
イヴ「分からない。イブキのデータを読んでから調子がおかしいような気がするの」
浅葱「回路に負荷でもかけたかな…ちょっとそこ座ってて今持ってくるから」
イヴ「アサギは、アンドロイドは生きてると思う?」
浅葱「…随分難しい質問だなぁ。その答えを出すにはまず「生物とは何か」っていう所から始めなきゃいけない。その一、外界と膜で仕切られている。その二、代謝を行う。その三、自分の複製を作る。これが定義として存在している生物だ。アンドロイドは常に代謝は行わないし、自分の複製を作ることは無い。だから………」
イヴ「…アンドロイドは、生き物ではない?」
浅葱「科学者の目線で言えばね」
イヴ「アサギ自身の目線では?」
浅葱「………さぁ、どうだろう。その答えを自分自身ずっと探しているような気がするよ。でも、どうして急にそんな事を?」
イヴ「ずっと考えてた。アンドロイドはどうして人間みたいなんだろう、って。今日イブキのデータを読んでその理由が分かった。……分かったけど、同時に悲しくなった。アンドロイドは人と共存するように作られてるのに見た目だけ一緒で全然違う。イヴ達は、人間みたいなのに人間じゃない。……イヴは、生きてない。なのに人間と《共に生きる》ってどうすればいいんだろう、って」
浅葱「……。」
イヴ「アンドロイドは生きてないけど…嬉しいって気持ちも悲しいって気持ちもある。それとも、これもただのプログラムで、全部誰かに植え付けられたもので、イヴの気持ちは…全部嘘になるの?ねえ、教えて。イヴは……アンドロイドは、全部作り物の、紛い物なの?」
(電話越しに)
阿鳥「…それで、君はなんて答えたんだ」
浅葱「答えなんて、出せるはずがないじゃないか………君なら、阿鳥ならどう答えた?」
阿鳥「僕なら答えは『YES』だよ。………科学者としてね」
浅葱「…科学者、か。その肩書きは棄てたつもりだった…それなのに、あの子の問いに『違う』と答えてやれなかった。…結局、どこまで行っても科学者という立場は棄てられないのかな」
阿鳥「君は……アンドロイドが生きている、アンドロイドにも感情がある…そう、思いたいの?」
浅葱「ある人に、教わったんだよ…何にも変えられない愛情がある、って。そしてそれは、人間でなくとも感じることがある、って」
阿鳥「それは、ペットとかそういう類?」
浅葱「それだけじゃない。形の無いもの…例えば思い出だったり、過ごしてきた時間だったり、そういう物にも感じることなんだ、って」
阿鳥「…もしかして、君はそれで…」
浅葱「…守りたいものは、心だった…といえば聞こえはいいけれどね。怖かったんだよ、ずっと向き合っていた物がただの《モノ》としてしか扱われない状況が。アンドロイドを製品としてしか見ていなかった周りの人間が、怖かったんだ」
阿鳥「………だから、辞めたのか」
浅葱「…そう。ごめんね、こんな理由で」
阿鳥「浅葱、君は……」
浅葱「アンドロイドに情を感じた時点で、もう科学者では居られなかった。冷たい人間になっていく気がして自分の事だって恐ろしかった。だから、逃げた。……逃げて、それでも今こうしてアンドロイドに携わっているのは、彼らをただの機械ではなく、大事な存在として側に置いている人間の心に寄り添いたかったんだ」
阿鳥N「自我を持ち、過去を持つアンドロイド。それが祖父の作りたかったアンドロイド。そして、EVEは完成したのだろうか。彼の望む《娘》として……」
秘書『失礼致します。社長、有栖川様がお見えです』
阿鳥「あぁ、そういえば約束していたっけ……いいよ、お通しして」
有栖川「失礼します」
阿鳥「どうも。…あれ、この間のアンドロイドは」
有栖川「その件なんですけれども……あの、実はですね…昨晩あの子のメモリーの中に突然知らないデータが出まして…」
阿鳥「…知らないデータ?」
有栖川「本人に聞いてもインストールした覚えはない、と。それて、コピーしたものを阿鳥さんに見ていただけないかと…個人的なお話でお忙しい中手間を取らせてしまうのは、ともおもったのですが……」
阿鳥「…拝見させていただいても?」
阿鳥N「受け取ったデータには《私の子供達へ》と記されていた。この他には音声もテキストも何も無い。ただそれだけだった」
秘書『…』
阿鳥「どうかした?」
秘書『…いえ、…あの、社長、少し休憩をいただいても宜しいでしょうか』
阿鳥「……構わないけど、どうかした?システムに異常でも?」
秘書『…記憶回路に、1つ謎のデータを発見しました。プロテクトは無し、開きますか?』
阿鳥「…念の為、僕が見よう。コードをパソコンに」
阿鳥N「液晶に写った文字の並びに、僕は『やっぱり』と思うしかなかった。このデータは一体………」
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イヴ「イヴは何も知らないよ」
浅葱「…だよねぇ。調べたけれど、イヴは勿論ウチにメンテに来る子達にもそんなデータはなかったよ?」
阿鳥「…1部の個体にだけ、か」
浅葱「それにしても《私の子供達へ》か……純粋に考えるなら…アンドロイドの親は阿鳥のお爺さん、だけど」
阿鳥「今普及してる型は祖父が退いてからのものだ、そりゃ基本の回路は祖父の設計だけど…なにかのシステムを潜り込ませていた、なんて考えられない。…一体なんだっていうんだ…」
浅葱「謎だねぇ………あ、謎といえば阿鳥、君が前に調べていた資料のプロテクト、あれ解けたのかい?」
阿鳥「………忘れてた」
イヴ「アトリ、意外とおっちょこちょい?」
浅葱「こらこら、そういうことはね思っても心の内に留めておくものだよ、イヴ」
阿鳥「浅葱……イヴに変なことを教えるな。イヴ、忘れて良いからね今のアドバイスは」
イヴ「……ふふ、どうしようかな。気分が乗ったら、忘れるかもしれない」
阿鳥「……あんな表情、するんだなイヴは」
浅葱「まるで子供みたいに色々覚えるよ。50年前の個体とは思えないよね」
阿鳥「……子供、…ふむ」
浅葱「なに?」
阿鳥「いや、どうせ分からないんだ。物は試し……」
浅葱「…それ、イヴの型番?まさかそんなもので」
阿鳥「……!」
浅葱「え……、開い、た…!?」
阿鳥「……と、とにかくこれで中身が……、え、これ…って」
浅葱「何が書いて………」
阿鳥「…まさか、そんな!」
浅葱「…………あぁ、こんな…どうして…」
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イヴ「…アトリは?」
浅葱「……帰ったよ」
イヴ「残念…。アトリに見せたいものあったのに……」
浅葱「何を見せたかったの?」
イヴ「イヴの記憶。思い出したんだ。……イヴは、アトリのお母さんだよって」
浅葱N「あの日、阿鳥の開いたデータの中には人間と仲睦まじく並んで微笑むイヴの姿があった。隣には、伊吹総一郎の息子、阿鳥の父親の姿があった。そして……」
《映像の中のイヴ》
イヴ「名前は私が付けてもいいでしょう?…ずっと決めていたのよ、貴方と私の…愛しい愛しい子供…。貴方は…アトリ…アトリよ」
浅葱N「アトリ、と名付けられた子供はイヴに向かって小さな手を伸ばしていた。愛を求めるように、人間ではない母親に。それがどういう意味を持つのか、彼もすぐに気がついた」
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阿鳥「離せ」
浅葱「阿鳥、待って」
阿鳥「離せ…!!!」
浅葱「阿鳥!」
阿鳥「信じられるか、僕が……僕自身が、アンドロイドだったなんて、そんな…そんな馬鹿みたいな話が…!!」
浅葱「少し落ち着け」
阿鳥「落ち着け…?母親がアンドロイドで、どうやって生まれることが出来た!?自身の複製は作れない…繁殖なんて、機械はできない…!!そういう事でしかないじゃないか!」
浅葱N「阿鳥は、とても取り乱していた。…人間だと思っていた自分のアイデンティティが、一瞬で瓦解(がかい)した。…それが、彼にとってどれだけの衝撃だったか…。理解しようにも、しきれないのが現実だった」
阿鳥「祖父も父も、僕を騙してた…騙して、人間として育てて、ちゃんと、記憶だってこんなに鮮明にある記憶だって、所詮は作り物で与えられたものだったんだ……!」
浅葱「…っ、そんなこと、」
阿鳥「ないなんて言うなよ、君が。僕自身がそうだと言っているんだ、君がそれを否定することはできないよ」
浅葱「でも…!」
阿鳥「あぁ、いまこうして絶望しているのも、悲しいのも所詮は紛い物の感情か……ははっ、笑えてくるよ、僕は…ずっとずっと僕自身が偽物だって気付かなかった、自分の頭で考えて生きてきたと思っていたのに…」
浅葱「…生きてるさ」
阿鳥「…………」
浅葱「君は、間違いなく生きている。それは揺るぎない事実だし証明だってできる」
阿鳥「馬鹿な事言うなよ、アンドロイドは機械だ、生物じゃない。…僕は前に言ったよね、科学者としてアンドロイドを生物だと言えない、って。なら……ほら、僕は生物じゃない。生きているとは言えない」
浅葱「阿鳥、どこに…」
阿鳥「…紛い物が、これ以上人間の真似してても滑稽なだけだろう?」
浅葱N「……止めてあげられなかった。大切な友人を失うかもしれない恐怖よりも、彼の悲しそうな瞳に一瞬だけ怯(ひる)んでしまった。記憶の中の阿鳥は、こんな表情した事がなかったから。…何時も笑っていてでも何処か抜けていて目が離せなくて。自分の事となると少し鈍感でだけど周りの人間に対しては敏感で、そんな彼が…泣いたから」
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(数年後。浅葱の店。奥の小部屋。目の前には動かない阿鳥)
イヴ「アサギ、夕飯できたよ」
浅葱「…」
イヴ「…アトリは、もう治らない?」
浅葱「…………いや」
イヴ「…イヴは、アトリに会えて幸せだった。アトリは、幸せじゃなかったのかな」
浅葱N「あの日、取り乱して心臓を壊してしまいそうになった阿鳥を、これ以上自暴自棄にさせないためにアンドロイド用の冷却剤を打ち込んで力ずくで止めた。そして、強制的にスリープモードへと移行させた…だけど、その後いくら解除しようとしても彼は目を開くことは無かった」
イヴ「……証が欲しかった。愛しあっていた証が。だから、イブキに頼んだ。母親になりたい、って。あの人もうなずいてくれた、そして、アトリが出来た。愛してた、あの人のこともアトリの事も…」
浅葱N「周りが許さなかった。阿鳥の存在も、イヴの存在も。…だから、阿鳥には別の母親……人間の母親が与えられた。父親とも阿鳥とも引き離され、他の人間に宛てがわれたイヴは、悲しみの余り阿鳥と同じことをしようとした。それを止めたのが…祖父である伊吹総一郎だったそうだ」
イヴ「……アトリのことも、彼のこともイブキは隠してくれた。消さずに隠してくれた。その方がイヴにとって幸せだろうから、って………でも、思い出した。会いたかった。…どうしても会いたかった」
浅葱「……何年掛かかるかわからないけど…」
イヴ「……?」
浅葱「…治すよ、阿鳥のこと」
イヴ「………うん…うん。」
浅葱「君が動かなくなって、もうどれだけの時が経っただろうか。人が歳老いても君は変わらない…変わらないままの姿の君を見るたびに思うよ、君が本当の人間で同じ様に歳を取って生きていけたらどれほど幸せだっただろうな、って。……ねぇ、阿鳥」
END